橋本教育委員会

元ヒッピー。現役教育委員会の人です。

1日12時間の瞑想を10日間。京都ヴィパッサナー瞑想のお話

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世界各地に数百カ所、点在しているヴィパッサナー瞑想センター。

国内では千葉県と京都府にあり、世界各国から予約があるため数ヶ月先まで予約が取れないという人気の瞑想センターです。

 

1日12時間の瞑想。それを10日間行うために、わざわざ京都の山奥や千葉の僻地へ足を運びます。

この10日間の間は、一切の会話禁止。他人と目が合うことも禁止され、もちろんスマホや本の持ち込みなども行うことはできません(スマホは預ける)

 

僕の周りでは、ヴィパッサナー瞑想の話に興味がある人は多くいますし、経験済みの友達なども多くいます。

全て寄付金で運営されているため、宿泊や食事も含め寄付金は自分の感覚で行います。

そんなヴィパッサナーのお話を少し。

 

楽ではない

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1日12時間の瞑想を10日間。

もちろん楽なことは一切なく、楽しみも快楽感もありません。

あるのは、ただひたすら自分自身の内面と向き合う時間です。

 

〝なんでこんなことやっているのだろう〟

 

自らの意思でやってきたのにも関わらず、そんなことが頭を過ぎることもしばしばあります。

足や背中には痛みが走り、途中で脱落していく人も少なからず存在します。

 

朝4時に起床して、就寝時間の9時過ぎまで休憩を挟みながら12時間の瞑想は楽なことではありません。

外部との接触はもちろん、同じ瞑想をしている人ですら会話をしないのですから。

 

そんな苦行に思えるヴィパッサナー瞑想ですが、予約を取るのはコロナ以前はとても難しく、数ヶ月先まで取れないことは当たり前でした。

 

また、楽ではないか楽かは人によるところはあるでしょうが、ヴィパッサナー瞑想を楽と感じる境地に達するまでにはそれ相応の覚悟と年月が必要になるかもしれません。

 

大切なことは呼吸と感謝

細かく書くとなると大変なことなので、詳しく知りたい方は以前に他のブログサイトで記載したこちらからご覧ください。

www.hashiaki5793.com

 

瞑想と聞くと雑念を減らすとか、頭の中をからにするなど、多くの人がそのようなイメージを持っていると思います。

もちろん、それらのことは間違いではなく、瞑想をするにあたり重要なことの一つでもあります。

 

世の中には様々な瞑想法があり、僕個人としても10年以上に渡り色々な瞑想を試して、ようやく自分自身の型と、自分に合う瞑想ができるようになりました。

 

ヴィパッサナー瞑想が他の瞑想と違う部分は、瞑想を行う際に〝呼吸を観察する〟ということです。

鼻から息を吸い、口から出す。

 

普段の生活で無意識に行なっている〝呼吸〟ですが、自分自身の呼吸に意識をフォーカスして瞑想を行います。

また、ヴィパッサナーのベースとしてあるのは〝感謝〟をすることです。

 

生きとし生けるものに感謝をする。

全ての物事に感謝をする。

 

瞑想だけに限らず、人生を生きる上で大切なことは何事にも感謝ができる意識の在り方です。

 

 

どんな感じ?

瞑想で体感できるものは人それぞれだと思います。

そもそも体感を感じようとすること自体、個人的には必要がないことと思います。

 

瞑想を行ったことで何かが変わったり、物事が好転したりすることは0ではないでしょう。

しかしながら〝結果に期待する〟ということは、基本的に無意味なことです。

 

瞑想を行うことで、何かに期待をすることや結果を求めることは少し違います。

それよりも自分自身の内面を観察し、呼吸を観察することが大切です。

 

人によってはどんどん頭の中がスッキリする人もいれば、あまりのきつさに体調が悪くなる人もいます。

瞑想を行うことで感じるものは、人それぞれ違います。

 

またその時に抱えていることや、タイミングなどそれらによっても感じ方は違ってくると思います。

リピーターが多い理由の一つに、毎回毎回違う気づきができることもあげられるかもしれません。

 

 

全員嫌な人に見える

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初日の数時間こそ、初めて会った周囲の人と会話をしますが、もちろん皆初対面のためそこまで込み入った話をすることはありません。

そんな中から始まる瞑想センターの戒律。

 

他人と目を合わすことを禁止され、会話も行わないと、途中でなぜだか他人が嫌な人に見えてきます。10日間が終わり、皆と会話をする中で後に分かったことですが、参加する多くの人が同じような感情を抱きます。

 

全くの静寂と、見ず知らずの人々。そして会話のない無愛想な対人。

 

目的は集まる人々と仲良くなることではないので、気にすることではありません。しかし人間は不思議なもので会話もなく無表情な人々を見ると、その人に対し勝手なイメージを作ります。

 

〝あの人性格悪そうな感じ〟

〝あんな年齢の人まで。きっと何かやらかしたんだろうな〟

 

それだけ多くの人が外見でその人を判断しているのかもしれませんし、無意識に僕たちは外側にばかり意識が向いているということも言えるのかもしれません。

 

本当はその人たちが何者でもいいはずなのに。

 

 

瞑想で人生は変わるか?

10年以上瞑想を生活のルーティンとして取り入れている僕から言わせてもらうと、瞑想は時々行なって、何かが変わるものではないということです。

 

瞑想で大切なことは〝継続すること〟です。

ラソンや勉強のように、瞑想も一夜漬けでその力が付くものではありません。

 

僕自身20代の頃から様々な瞑想法を試してはやめ、試してはやめを繰り返していました。

しかしヴィパッサナーを経験してからは、朝起きるとルーティンのように瞑想から1日を始めます。

 

現代社会ではgoogleやYahooが社内でマインドフルネス瞑想などを取り入れていることで、多くの人が瞑想を生活に取り入れるようにもなりました。

ですが、人生を変える変えないという目的ではなく、日々の生活に豊かさを取り入れるという目的で瞑想を習慣化すると、気分の良い生活が送れるかもしれません。

 

気分の良い毎日や豊かな感情の毎日を送ることで、結果として人生が好転することはあるかもしれません。

先ほども記述しましたが、結果に期待するのではなく、日々今ある時間に感謝をして豊かさを感じることで様々な物事は好転します。

 

それらを味わってみたいのであれば、瞑想を毎日の習慣として取り入れてみては良いでしょう。

 

 

ヴィパッサナーは究極の向き合い

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現代社会で10日間、誰ともコンタクトを取らず、目も合わせないような生活は意図をしないと一般的な人にはできないことかもしれません。

 

強制的にそのような環境下に自分自身を置くことによって、自我の内面と向き合い対話を重ねます。

ヴィパッサナーは究極的に自分を見つめる機会でもあります。

 

一度ヴィパッサナーの10日間をやりきると、次回以降はサーバー(奉仕する側)となって、次に瞑想をやりに来る人々のお世話(ボランティア)をします。

10日間の瞑想をやりきると、もう二度とやりたくない人、サーバーとして誰かの奉仕をしたい人、もう一度やりたい人、時間があれば毎年やりにくる人、などとそれぞれに分かれます。

 

終わった後にどのような感情であったとしても、個人的には一度はお勧めしたいヴィパッサナー瞑想

はっきり言って、きついですが、僕はもう一度行きたいですし、サーバーとして奉仕側に回ったこともあります。

 

そんなヴィパッサナーですが、詳しく掘り下げたい、気になっていたから体験談をもっと聞いてみたいという人はこちらをご覧ください。

www.hashiaki5793.com

 

次に経験するであろう、誰かのためにこちらの記事を書きました。

個人的にはお勧めしたい行動の一つですね。

旅する天然石バイヤーが北海道の教育委員会に勤めるようになった本当の理由

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マヤ族と生活をしながら

メキシコ南部、グアテマラとの国境近くの山岳地帯の町でマヤ族と生活をしながら天然石の買い付けを行なっていた2019年。

その一年ほど前まではネパールでバドミントンの代表コーチをやっていました。

 

代表での練習は午前のみ。

時間を余していた僕は、首都のカトマンズで天然のクリスタルを買い付けるようになりました。

 

毎日のようにカトマンズにある天然石屋へ足を運び

「お前ほど毎日クリスタルを見に来たやつはいない」と最後に店主に言わしめるほど、街中の天然石屋を周りました。

 

その後、北海道の美瑛町でクリスタル屋を1シーズン行い、アメリカのセドナでクリスタルアーティストと一緒に生活をした後メキシコへ飛びました。

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朝起きて、近所の野良犬と町内の散歩をしながらすれ違うマヤ族と挨拶を交わす。

標高2300mの町では太陽が昇るとすぐに暖かくなり、

住んでいた家の屋上のバルコニーで美味しいコーヒーと安いパンの朝食を食べていました。

 

街へ出ると色々な天然石や、世界を旅する作家たちが自分たちの作品を販売しています。

マヤ族を含め、子供の頃から装飾品を身につけることが生活の一部として根付いていた町で旅と石の生活をしていました。

 

田舎で小さな天然石屋を

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メキシコで半年の生活を行いながら、買い付けを行なったオパールやアンバーを中心に色々な天然石の買い付けも行なっていました。

 

買い付けを行なっていた時に、自分の中で理想としていた天然石屋は、

 

〝田舎でひっそりとやっている小さな天然石屋〟

 

そんなこともあり地元周辺の町で小さなお店をやろうと考え、条件が該当しそうな町とコンタクトを取っていました。

 

しかし今いる町から言われたことは、「高校魅力化コーディネーターという職種を募集していて、条件が該当しているのだけど、考えてみてはどうか?」とのこと。

 

正直どこかに勤めることを考えていなかったのですぐにピンとはこなかったものの、さほど抵抗感もなかったので面接を受けることに。

 

北海道の小さな町で天然石屋をやるつもりが、気がつけばスーツを着て校長と教頭と教育委員長と面接をしていました。

 

当時38歳。

これが事の発端でした。

 

オーバーオールで来ていいよ

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見事採用となった僕が後に知ったのは、そもそも僕しか面接に来なかったという事実。

そんなこんなで晴れて教育委員会の職員となりました。

 

世界を旅しながら、時にはバドミントンを教え、天然石の買い付けを行う。

ブロガーとしてサイトを運営する傍ら〝名もなき石屋〟というマクラメのアクセサリーと天然石の店舗運営。そして教育委員会

 

ただこちらの教育委員会、というか当時の教頭や校長が寛容だったこと。

 

「明日から毎日オーバーオールで来ていいよ」と、学校側から提案をされました。

 

ここに採用となる前に自分の運営するブログを見られていた僕は、オーバーオールの姿でクリスタルやオパールを売っていたことを知られていました。

すでに僕が書いていたブログの記事はプリントアウトされ職員室で教員に配布されていたのです。

 

「高校魅力化コーディネーターが魅力的じゃなくてどうするんだ」

 

そんな教頭先生の意向が強く反映され、僕は毎日オーバーオールで高校に勤めることとなったのです。

 

40歳手前で就職

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年齢がどうのこうので考えてはいないので、40歳の手前で就職したかどうかは僕自身にとってはさほど意味を持たないこと。

面白ければ続けるし、面白くなければやめればいいだけ。

 

でも、世間的に考えた時につい最近までメキシコ山間部の町でマヤ族と生活をして、天然石の買い付けを行なっていた旅人が、教育委員会に勤めるということは少々ギャップのあるキャリアかもしれません。

 

僕自身、かっちりとした就職はそもそも望んではおらず、田舎でのんびり天然石屋をやるはずが肩書きだけを見ればお堅いところへの就職になりました。

 

驚いたのは自分自身ではなく周囲の方。

家族はもちろん仲の良い友人まで、多くの人が驚きを見せてくれました。

 

僕自身も不安がなかったかと言われるとそうでもなく、今さら一般社会の組織でどれくらい受け入れられるのか、またどれくらいのレベルで仕事ができるかなど不確定要素も持ち合わせていました。

 

就職することを諦め、自分の好きなことをやってきたこの人生。

今回に限ったことではありませんが、今後もどのような人生の方向転換があるかは全く予想がつかないものです。

 

結果として夢は現実に

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〝日本に帰ったら絶対に教育関係で働きたい〟そんな夢ではなく、

 

〝日本に帰ったら田舎で小さな天然石屋をやりたい〟という夢は叶い、理想的な店舗運営もできています。

 

メキシコシティの雑居ビルの片隅で見つけたフランス人がやっていた小さな天然石屋。

なぜフランス人がわざわざメキシコの雑居ビル片隅で天然石屋をやっているのか。

そんな想像をさせるだけで、彼の生き方と揃えている石のセンスに魅惑を感じました。

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「日本に帰ったら小さな天然石屋をやるよ」

 

そういうと彼はフランス語なまりの強いスペイン語で、「それは最高だな。お前なら良い石屋になれるぞ。これは前祝いだ、持ってけよ」と言って、カルサイトの原石をプレゼントしてくれました。

 

世界各地で様々な天然石屋や装飾品を見て、理想としていた自分のスタイルで運営する天然石屋。

そんな小さな夢を叶えることができたのも、教育委員会に勤めることができたからかもしれません。

 

これが一連の流れ

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よく多くの人に「何がどうなって教育委員会に勤めることになったの?」と聞かれることがあります。

僕が日本で質問をされることはだいたいいつも決まっています。

 

「今まで行った国でどこが良かった?」

「どっから他国の代表コーチの話が来るの?」

「なんで天然石屋を始めたの?」

「どうやって旅人から教育委員会に勤めることになったの?」

 

これらのことは、どこへ行っても質問をされることです。

興味を持ってもらうのはありがたいことかもしれませんが、僕からするとそんなに気になるものなのかなと思うことも。

当事者の本人とはそんなものです。

 

天然石のバイヤーから教育委員会への転職ではありません。

天然石のバイヤーとお店を運営しつつ教育委員会でも仕事をしているだけのことです。

 

パラレルキャリア。そんな言葉も今ではあるくらい。

 

世間の枠組みの中で物事を作り上げるのではなく、オリジナルのスタイルで物事を作り上げる方が僕には合っている気がします。

 

僕が教育委員会に勤めるようになった一連の流れは、さほど特別なものではなく、結果として自然の成り行きでたどり着いただけのことです。

新しいブログ始めます。どんなブログにするかは作りながら考えます

新しいブログで書きたいこと

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ブログを生業としている人は新しいブログを開設する時にこう考えるでしょう。

ブログ開設=新しいお店の開店

 

ブログは初期投資の必要がなく、大きな収益を生み出すことのできる、ローリスクハイリターンな収益を作り出す、web上での仕組みの一つです。

ブログを〝仕事〟として生業にしている人は、今の時代一定数存在しています。

 

生業の仕事としてブログを書くとなれば、人にもよりますが多くのストレスがかかります。

ある一定の線を超えてくると、物書きをすることもライフワークとなり、仕事としてのストレスを抱えることはないかもしれませんが、そんな人たちもほんの一握りではないでしょうか。

 

テーマ・ジャンル

そんなストレスを抱えることのない、自由なブログを運営したく、新しいブログでの記事作成をすることにしました。もちろんそんなブログで収益を上げることができれば、一石二鳥にはなるのですが。

 

新しいブログで書きたいことが決まっているわけではありません。

いくつか〝こんな感じのこと書きたいな〟とはありましたが、書いては消して、書いては消してと、ブログ初心者のようなことをやっていましたが、とりあえず書きながらブログの方向性を作っていくこととしました。

 

新しいブログを考えた時に作りたかったテーマは次のようなものです。

  • 自由な日記ブログ
  • マインドや考え方などに関してのブログ
  • 教育関係に関しての私見ブログ
  • 特殊事例での田舎暮らしブログ
  • とにかく面白いブログ

いくつか書き始めたものの、どこかでしっくりくることができず、結局ブログを作りながらどんなテーマを持ったブログにするのか進むことにしました。

 

ブログをライフワークに

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ブログを続けるのは簡単なことではありません。

むしろ大変な労力を使います。

 

しかし、ブログを運営し続けることによって得られるリターンも少なくはありません。

ブログのリターンは必ずしも〝お金〟だけのリターンではなく、それ以外のリターン恩恵を受けられるのがブログを書くメリットです。

 

収入源以外のメリットはざっくり下記のようなものになります。

  • ライティングスキルがつく
  • 権威性を持つことができる
  • 自分自身の営業ツールになる
  • 自身の考えのアウトプット

僕自身が他のブログサイトも含め、書くことをやめずに続けているのは、続けることで得られるものがあることを知っているからです。

 

やめることは簡単です。

しかし何事も続けることで、スキルはアップしていきます。

 

レベルの高い低いは関係なしに日本人なら誰しもが文章を書くことができるでしょう。

しかし、文章を書き続ける習慣を身につけることで、多くの人が到達することのできない領域で物事を俯瞰することができます。

 

文章上手いよね

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そんなことを言われることが多くなりました。

 

「いつも読んでるけど、文章上手いよね」

「読みやすい文章だからつい読んじゃう」

 

ありがたいことでもありつつ、もちろん最初から文章を書くのが上手かったわけではありません。

今見返すと恥ずかしいようなブログ記事もあれば、稚拙で誤字脱字の多いブログ記事もあります。

 

しかし、そんな恥ずかしい文章を書き続けていたからこそ、気がつくと他人に声をかけてもらえるような〝ライティングスキル〟が身につきました。

 

人によって表現は様々

絵で自分を表現する人、歌で自分を表現する人、写真で自分の世界を表現する人、喋りで自分を表現する人。

 

皆、様々な表現方法を使って自分を表現しています。

大人しく無口で何もしていなかったとしても、そこに存在しているだけでそれはすでに〝表現〟の一部でもあるのです。

 

その中で僕自身は〝文章や言葉で自分を表現する人〟だと思います。

読む人が自身の人生に役に立つように、新しい何かを発見できるように、テンポの良い読み物ができるように。

 

人によって、文章を書くということはアートの一部でもあり、表現方法の一つの手段でもあるのです。

たまたま僕の表現手段が文章だったということです。

 

もっと自由に

以前のブログに自由度がなかったわけではありません。

www.hashiaki5793.com

しかしテーマとジャンルがある程度確立していた分、自由に何かを書き下ろすブログ媒体ではなくなりました。

いわゆる〝特化型ブログ〟です。

 

しかしブログで収入を作ろうと、ブログ運営に参入する人が増えたことによりweb上には溢れるほどの情報が流れています。

 

ブログや動画で流行りがあるように、読まれるために書くブログにはある種のテンプレが存在し、多くの人がそのテンプレを利用してブログの記事を作成するようになったので、どのブログ記事も似たり寄ったりのサイトになっています。

 

本来自由であるはずのブログが、どれも同じようなブログに見えるのはそれらの要因が原因となっています。

 

これからのブログ

多くの人が似たようなブログを書くことになったことで、これからのブログはより差別化されたものが読まれるブログになるでしょう。

 

サイトの個性化であったり、ファンをつけれるような文章の書き方であったりと。

むしろそのようなサイト作りを以前から行っていた人は、どれだけ巷にブログの参入者が現れても、不動の地位を築いているかもしれません。

 

もちろん個性化が必ずしも、これからのブログ界で重宝されるというわけではありませんし、個別化をしているのにも関わらず多くの人に読まれないこともあるでしょう。

 

 

アウトプットの場所として

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こちらのブログでの収益化は特に考えていません。

それよりも、もっと自由にアウトプットできる場所が欲しかった程度なので、雑記に近いブログになるかと思います。

 

時には日記を書くこともあれば、時にはシリアスな記事。また、ある日はトレンド記事や、ふざけた記事を書くこともあるかもしれません。

 

不特定多数に向けたブログなのか、個人的な知人へ向けたブログなのか決めてはいませんが、ライティングのライフワークとして続けるのが目的です。

 

そんなライフワークを続けた結果、自分自身の大きな資産やスキルになっているのであれば良いかなと思っている程度です。

 

こちらのブログからでも、自分自身の表現やアウトプットを重ねれる場所であればと思っています。